「箕面市における障害者就労の取り組み
―豊能障害者労働センターと障害者事業所制度の発展―」

豊能障害者労働センター 新居良

1、はじめに

従来は、好景気で完全雇用が達成された時期でも雇用に結びつかない重度障害者の就労と、潜在的には既存の労働市場において一定の作業能力を有している失業者や雇用困難者の就労とは、異なる範疇で論じられてきた。しかし、近年の労働市場の変質にともなう労働の分断や、個の能力への責任転嫁論に対する反省から、働くことの再生や地域とつながり働くあり方などが社会的な課題として浮上している。そして、重度障害者を労働市場から排除してきた根本原因が、まさしくこの能力主義的労働編成であった。
箕面市における障害者事業所制度の構築につながる運動の文脈は、重度障害者の就労の場を生み出すべく、能力主義によらない労働編成のあり方を模索するものであった。それは、障害当事者が生み出す働く場、行政、市民をつなぐ労働文化圏の構築を志向するものである。そして、それは、労働の創造性や豊かさの原点に立ち返り、誰もが働きやすい労働編成のあり方への提起を成すものである。本稿では、箕面市における障害者事業所制度をめぐる議論に立ち返り、日々の活動から、そして、行政や市民との対話から生み出された価値について、その理論的、文化的整理をしたい。

U 歴史的経緯
―障害者運動の展開と行政との対話における制度構築―

箕面市において、重度障害者の働く場を生み出していく歩みは、障害当事者の自立を求める主体的取り組みと、それに呼応する健常者の共に働く取り組み、そして、そのような市民からの自発的運動からの提案に応答する形での行政からの協働の成果としてすすんできた。

1981年〜1986年 重度障害者の働く場を生み出す市民の運動からの提起

1982年、どこにも行くところあらへん。豊能障害者労働センター(以下、労働センター)は、養護学校を卒業した一人の脳性まひの少年の心の叫びから始まった。前年、1981年には、「完全参加と平等」をスローガンとする国連の国際障害者年を受けて、箕面でも国際障害者年箕面市民会議がすでに産声を上げていた。その市民の運動が母体となり、少年の叫びに呼応する形で、労働センターが立ち上がった。当時は、障害者2名、健常者4名での出発であった。もう1名の当事者は、箕面市内で、重度障害者としてはじめて、小中学校の普通学校で特殊学級ではなく、普通学級で学ぶことを周囲の支援を得ながら生み出してきた当事者であった。中学卒業後、彼は箕面市役所への就労を希望し、「重度障害者の働くモデルを市として示すべき」と、支援者と共に運動をすすめた。結果、彼自身の就職には結びつかなかったものの、その後の障害者別枠採用制度の開始へつながった。そして、彼自身は労働センターで働く場を得た。
労働センターの運動の特筆すべき点は、重度の障害者が地域であたりまえに働き自立するということであった。働ける人から働く場を徐々に生み出していくのではなく、重度の障害当事者の働く場も当然保障されるべきと考えた。人としての基本的権利であるはずの社会参加の欲求は、炎のように熱いものであった。社会の客人ではなく、社会を担う主体であることを求める欲求として、そこからすべての思考が始まった。
当時の労働センターの収入源は、他人介護料を利用したヘルパーの所得、粉石けんの販売をはじめとする自主事業、それからカンパ活動の所得の合計であった。財布は一つの原則。みんなの所得を持ち寄って一つの財布に入れ、生活の必要に応じて分け合うという形をとった。そのような共同性は、当時、重度障害者の働く場を生み出すに当たって、いわば生きるための命綱であった。
一方で、当時の労働センターは、いわゆる「青い芝」の運動にも思想的に影響を受けていた。「青い芝」の運動には、「脳性まひ者が賃労働のもとで働くことは、健常者文化に圧倒され、その主体性を喪失するものである」という考えがあった。労働センターは、重度脳性まひ者が働くことそのものを拒否する考えにはつかなかったが、重度障害者が、主体性を維持するなかで働くことの重要性をその活動の基本理念とした。即ち、全人格的な個として生きる力の発揮の尊重であった。重度障害者の主体性・個として生きる力の発揮の尊重と、一方での健常者を含めての共に働く共同性、この二つのことがらは、時に、緊張的な関係に入ることもあるが、その両方の意識的な尊重が労働センターの労働文化の基調を成すものである。労働センターが働くことにおいて、特に、対等性や対話性を重視するのもそのような人が生きることが働くことにつながるという文脈においてである。

このようにして、労働センターは当事者の自発性が先行する形で活動を重ねていくが、一方で、市行政に対してもその活動を支えるあり方を提言していく。そして、設立の翌年、1983年には、労働センターは、「箕面における福祉の展望と労働センターの位置づけ」という提言書(以下、83年提言書)を市に提出するのである。そこではで、「ノーマライゼーションという新しい考え方」について、「障害を持つ人々が現実の社会生活の中で差別されていることを直視しながら、それを克服する方法を、その差別を作り出している人々や、社会システムに求めると言うのが、1980年代の福祉の考え方になりつつある」とした上で、以下のように述べている。

「完全な社会参加と平等の内実を支えるものは何でしょうか。行政の努力の中では、多くの場合、生きがい対策と市民の理解と言う形で取り上げられていますが、現代社会では、社会的意味において、社会参加とは、労働によって可能なのであり、平等とはその労働のチャンスがどのような障害を持とうが、平等に保障されることであるのは、自明の理である訳です。多くの行政施策は、理念を支える就労への道筋を明記することなく、働くことの意味を素通りすることで、説得性を欠く結果をまねいているのです。
障害を持つ人々には、自分の持つ正当な労働力を行使し、賃金を受け取り、社会生活を営む権利があります。それはこの社会に生を受けた全ての人々に共通する、人間としての権利でもあるのです。しかしこの全くの意味において正しい認識が、今の労働社会では無理なこととして片付けられてしまっているのです。障害を持った人々が、働く場所を持つことが出来ないで、どちらかと言えば、保護的な色合いの福祉のワクの中で細々と生きながらえなければならないのは、障害を持った人々の側に原因があるのでしょうか。否、それは断じて違います。
障害を持った人々に労働の場が保障されないのは、その人達を受け入れるべき側の工場や、企業に問題があるからなのです。つまり、今の企業や、工場が採用している労働力の組み合わせ方法に、障害を持った人々の労働力が、量としても、質としても、追いつかないか、あるいは間尺に合わないと言う理由で多くの場合、職場のトビラが閉じられているのです。これは、労働の社会的意味を、個人の能力の問題に封じ込め、その負の面、職場の労働に合わない個人として、その全責任を能力のない人間の問題として押しつけてしまうのです。これは生産労働を基盤として成り立っている社会の伝統的な考えであり、障害者差別を根本から支えている能力主義の考え方です。
障害を持った人々に従前な意味で、健全者と同等の労働能力があるはずがありません。無いからこそ、障害者問題として社会問題化しているのですから。その通常の社会的な労働能力の不足した部分の問題点を、今の能力一辺倒の職場にあわせることによって、解決しようと試みるのは、ザルで太平洋の水をくみつくそうとする行為で、全く無意味なことです。障害を持った人々が、職場の状況に合わせて、健全者と同じように働けるとすれば、障害者問題などと言うものは、この世に存在せず、福祉における行政努力も必要ありません。
したがって、働くと言うことを、個別の能力の問題に押し込めるのではなく、職場全体のトータルな課題として取り上げ、職場に障害を持った人々の能力を合わすのではなく、障害を持った人々の労働に職場を合わせる方向で、行政努力の基本方向が定められなければならないのです。」 

つまり、社会的排除の原因を社会の側に見る「障害の社会モデル」に立った上で、○現代社会において、社会参加とは、労働によって可能であること。○障害を持つ人々も労働を通じて、賃金を受け取り、社会生活を営む権利があること。○障害を持つ人々に労働の場が保障されないのは、労働の社会的意味を、個人の能力の問題に封じ込める能力主義の考え方によること。○働くと言うことを、個別の能力の問題に押し込めるのではなく、障害を持った人々の労働に職場を合わせる方向で、行政努力の基本方向が定められるべきこと。が主張されている。

それでは、能力主義を採らない職場での労働編成とはどのようにして可能になるのか。83年提言書では、行政自身による職場作りを求める一方で、市民が主体となった具体的な労働の場を育てるため、以下の施策を提言している。

「1 障害者自身が働くことによって、直接市民に働きかけ、交流出来る場所づくり。
2 自主的に働く障害者によって運営される場所への助成。
3 生活出来る賃金と、障害に見合った仕事の創出。
4 市民に開かれた働く場のモデルケースづくり。」
つまり、障害当事者が主体となって行う仕事作りを、市民に働きかける開かれた場として行い、そのような場を行政的に助成、支援していく、というあり方である。

以上もう一度、ここまでの文脈を整理したい。労働センターの設立は、重度障害者が、地域で働き自立して生活をしたいという、人間としての基本的欲求の発露であり、そこから、重度障害者の主体性・個として生きる力の発揮の尊重と、一方での健常者を含めての共に働く共同性という労働文化が生み出されていった。これは、いわば能力主義によらない労働編成の提起であったが、現実には、経済的に窮乏をきわめ、命をつなぐための共同体の域にあった。
一方で、労働センターは、その83年提言書の中で、重度障害者の働く場を生み出す取り組みは、地域社会全体として取り組まれるべきことを主張した。それは、障害者を主体とした自主事業づくり、市民との開かれた関係、行政による積極的支援、の3つを柱とするものであった。そして、その後、上に見た労働文化としての萌芽は、行政との協議を重ねる中で、次第に制度としての形を得るのである。

1987年〜1994年 障害者事業所制度の発展

その後、市との協議の積み重ねの結果、ようやく、1987年より箕面市の単費事業として、「箕面市障害者雇用助成金」が開始され、労働センターがその助成対象となった。その内容は、「市内に居住する重度障害者の労働の場として、地域社会と一体となって運営されている市内事業所において、重度障害者が就労する場合、当該事業所に対して補助金を交付し、もって、重度障害者の職業的自立の促進を図ることを目的とする。」と言うもので、重度障害者の労働の場に対して、一人当たり月額5,000円を補助するという画期的なものであった。さらに、「地域社会と一体となって運営されている」という記述に、83年提言書の流れが読み取れよう。しかし、ここではまだ、働く場への助成であって、その助成内容の明確な規定まではなされていない。

1990年には、「重度障害者の職業的自立の促進を図ることを目的に」した財団法人箕面市障害者事業団が設立され、上記助成金は、同事業団の「障害者雇用助成金」交付要綱にもとづき交付されることとなる。

1992年から93年にかけて、行政と市民、学識経験者等でつくる研究チームにより、賃金補助に対する客観的基準の制定などの検討が重ねられ、1994年事業団の交付要綱は全面改定され、現在の要綱の基礎がつくられた。その中で、83年に提起された基本的な考え方が、はじめて制度としての具体的な形をえることとなった。87年以来の助成対象が、「障害者事業所」として概念定義され、労働センターも「障害者事業所」とされた。以下、94年要綱によるその定義である。

「この要綱において障害者事業所(以下「事業所」という。)とは、障害者雇用が遅々として進まぬ現状を改善すべく、積極的に職業的重度障害者を雇用すること、及びそのことを通し職種開拓・職域拡大に向けた事業運営を行うことを目的として設立されたもので、その存在と事業内容が、障害者の職業的、社会的自立に役立ち、かつノ−マライゼ−ションの視点から多大な意義を持つ事業所のことをいう。」また、助成対象となる障害者は、「手帳(身体、療育、(注精神は2006年付加))の有無及びその程度によって限定せず、障害が理由となった社会的ハンディの結果、一般就労の困難な者」とされる。

しかし、ここで、最大の注意を要する表現は、「ノーマライゼーション」という語である。ここでは、「重度障害者が、地域で職業的、社会的に自立し、あたりまえに暮らすこと」と捉えられるが、そのことが、能力主義による労働編成を前提とした職場で可能であろうか。そうだとすれば、上記の職種開拓・職域拡大は、重度障害者の職業訓練の場ということになる。答えは、明らかに否である。障害者が適応するのではなく、社会自身の排除するあり方が変わらなければならない。あらためて、83年提言書での用法を想起いただきたい。つまり、この語は、重度障害者があたりまえに働く場を地域社会が一体となって生み出していくことを要請しているのである。 以下助成対象としての要件である。

(1)職業的重度障害者の雇用実数が4人以上でかつ、雇用割合が30%以上(実人数算定)であること
(2)障害者雇用及び、そのことを通した職種開拓・職域拡大に向けた事業内容を社会的に明示していること
(3)障害者雇用に関して箕面市及び本事業団との連携を保持しており、本事業団の職種開拓育成事業の対象事業所であること
(4)事業所内外において、障害者問題等、人権・福祉問題の啓発を行っていること
(5)事業所の経営機関に障害者自身が参加していること
(6)労働保険(労災保険、雇用保険)の適用事業所であること
(7)事業所としての経営努力がなされていること

ここでは、先に見た、重度障害者の主体性・個として生きる力の発揮の尊重と、一方での健常者を含めての共に働く共同性という労働文化について、前者すなわち主体性の尊重については、障害者の働く権利の保障と人権尊重、さらには、経営機関への参加として明記されているが、共同性の担保については、必ずしも、明記されているとは言いがたい。共同性の担保は、能力主義によらない労働編成を考えるとき、欠くことのできない要素ではあるが、ここでは、触れられていない。また、83年提言書には読取ることのできる市民との事業的共同性についても、必ずしも、明記されていないこともおさえておきたい。しかし、94年の交付金要綱においては、助成金の内容は、障害者助成金、援助者助成金、作業設備等助成金の3つに分類規定された。そして、この障害者助成金は、障害者の働く権利の保障に加え、職場や地域での共同性の創出にまで射程が及ぶものであるので、以下、章を変えて論じたい。

3、新しい労働文化圏の形成〜賃金補填を巡る議論から(1994年〜)

地域社会による地域社会自身へのエンパワーメント

先に見たように、1994年の要綱改定の中で、助成金は、障害者助成金、援助者助成金、作業設備等助成金の3つによって積算されることとなる。その柱となるのは、障害者助成金であり、雇用関係と最低賃金の保障を前提とし、最低賃金の4分の3を助成するものである。したがって、支払い給料の4分の1以上は事業収益より生み出すこととなる。その補填の理論的根拠として、93年の報告書(注1)は、次のように述べている。

「まず1点目は、障害者の労働能力に視点をおいた援助策である。 一定の労働能力があり、企業の生産ラインになじむ一般雇用されている障害者と異なり、職業的重度の障害者が多くいる障害者事業所では、いかに職種開拓を行っても、健常者と同等の労働能力を求めることは客観的に不可能である。そこで、例えば健常者が箱を10個作る間に、障害者が1個とすると、障害者の賃金は健常者の1/10ということになるが、それでは障害者の経済的自立は不可能であり、ここに行政が、援助策としての賃金補填を行う意義がある。生産された量でその人の人間的価値を量る考え方は、重度障害者の人間的価値を低くみる考え方であり、行政としてノーマライゼーション実現へ向け、障害者事業所を援助する第1の意義は、まさにこの点にあると言ってよいのである。 」

そもそも出来高賃金は、労働を個別の能力の問題に押し込める能力主義的考え方から由来するものではあるが、賃金補填の意味を考える過程としては、一定、このような理論的抽象化も必要となる。そこで、上記のように能力主義による出来高賃金では、障害者の給料は、自立に必要な金額をはるかに下回るものとなり自立生活ができないこととなる。しかし、ここでの論点は、生活を支える最低所得額の保障という枠組みを超えている。単に生活費の必要原資として給料金額の補填が主張されているわけではない。それでは、この上記で述べられている人間的価値とは一体何であろうか。

上記引用について、2007年の報告書(注2)では、以下のような注がふされている。 「これらは、平成5年(1993年)当時としては、説得力のある説明ですが、改めて振り返ると理論的な限界も見られます。 まず1点目ですが、あえて比喩的に説明したい意図からと思われますが、『障害者の生産性の価値』といったものがあたかも存在するかのような誤解を与えかねません。ここで例えられているような箱を作る量ではなく、地域に人権を啓発する主体としての働きぶりという視点で考えれば、箱を多くつくることができない重度障害者の方が健常者よりもはるかに『生産性』が高いということもいえます。むしろ問題は、そうした障害者が有している人間としての価値を、現在の社会一般の労働体系が正当に評価しえない仕組みとなっていることであり、行政がノーマライゼーションの視点から賃金補填を行う意味は、ここにあります。更には前節で詳述したように、障害者賃金への補填が地域コミュニティ活性化への投資であるという視点も、平成5年(1993年)当時には明文化されていなかったものです。」

障害者助成金のここまでの議論を整理したい。まず、生活面から考えれば、賃金補填は、「能力主義的生産性に基づく賃金」では自立生活に不足する分を補填する最低所得保障としてのそれである。そして、そのことが労働にもとづく社会参加を支え、重度障害者が、労働者として力を発揮する法的な前提条件を形作る。
しかし、一方で生産面から考えれば、それは、単なる賃金補填ではなく、労働に対する対価の支払いである。重度障害者は労働に参加することで、能力主義的生産性から測られるよりも多くのものを生産する。それは、働くことに効率性以上の価値を付加することを要求する力である。働くことにおける個の自立の尊重と共同性の尊重、この2つの欠くことのできない価値を職場や地域に生み出す力に対して、地域社会として正当に評価し、対価を支払うのである。また、そのことによってその力と効果を職場に対しても、地域社会に対しても助長する。上記引用では、このことを「地域に人権を啓発する主体」と述べているが、障害者助成金の基本にある考え方は、働くことを、「能力主義による効率的生産」の枠内に閉じ込めるのではなく、人権啓発をも含んだ「広義の労働概念」へと広げ、それを支える地域での「労働文化圏」の構築を支援するものである。このように、障害者事業所制度においては、共同性の担保が、障害者助成金のあり方に見て取れるのであるが、このような助成施策の意味が、実際の運動の文脈と重なってはじめて実効性を発揮するという行政施策の文化性も確認しておきたい。

さて、ここで、この労働文化圏の具体例として、労働センターでの労働編成と労働センターにおける通信販売事業とリサイクル事業とをみる。

労働センターでの労働編成について  働くことの対話性―対等と参加。

ここで特筆すべきは、対等ということと参加ということの表裏の関係である。 まずは、障害者運動の積み重ねから強く意識されることであるが、長らく障害者は、制度の中でおもに健常者を中心とする指導員(支援員)の客体としての立場にあった。そのことへのアンチテーゼとして、当事者参加、主体、そして、「その人のいないところでその人のことを話さない」という原則が、運動文化として、強く意識されている。
また、当事者も主体的に事業に参加するといっても、それぞれに作業や対象を限定すれば能力差が存在する。対等に事業を遂行するには、様々な形で参加を促進する柔軟な事業構造や組織構造が必要となる。そして、対等に関わるその質は、対話的構造である。障害のあり方は、結局、各個人によりすべてことなる。各人が、個別対話的に交わり関係性を構築することによってのみ、対等性が成立する。まず、対等な人として、相手の話をよく聴く。しっかりと向き合う。各人が、人としてぶつかり合い、お互いの個性を認め合いながら共有する事業を生み出していく。重度障害者が事業の主体として関わることで、労働の創造性、豊かさの原点に立ち返り、労働編成のユニバーサルデザインへの提起を成す。そして、そのことは、実際に、「助成対象ではない健常者」として、被差別地域出身者、外国籍市民、高齢者、母子家庭の母、などさまざまな働きにくさを抱える人の働く場を生み出すことにもつながっている。

労働センターにおける通信販売事業とリサイクル事業

次に、市民との具体的かかわりの例として、労働センターにおけるリサイクル事業と通信販売事業をみる。それは、もともと生きるためのネットワークからの事業拡大であり、その本質を引き継ぐ形で事業が展開している。事業の構築にあたって特徴として描き出すことは、まさに、「人と人が出会う場としての」市場の創出である。もちろん、それは、競争原理を基礎とした市場的欲望の無限の拡大を支えるものではなく、社会のあり方を問い、豊かさのあり方への提案に呼応する顧客の創出であった。
まず、通信販売において、その柱となったのは、月々の通信による顔のみえる関係の創出であった。先に見た、日々の仕事のあり方、そこでの葛藤、葛藤が故の人間的かかわりの深化と、それに根ざしたあらたな協働関係の構築など、そのような日々のことを具体に伝える中で、読者を単に受け手として外に立つものと意識するのではなく、当事者として参加しているものとする。それは、読者自身の日々の歩みに共鳴するものとしての、文化的価値の共有である。
一方で、地域におけるリサイクル事業の展開である。これは、先の通信による情報共有と同時である。情報共有のなかで、それが、障害者が担う5つのお店での日々の出会いと重なり、地域の市民が共有された物語に参加し、共に支える登場人物として自らの営みを重ねる形で積極的に関わる。それは、具体的にはバザー用品の提供やリサイクル店での顧客であるが、両者の間で「共有されているもの」がなければ人は動かない。関係性の緊張感や具体的なフィードバックがあってはじめて、その物語は、市民に通じるものとなる。障害者事業所で働く人々の具体的な事業参加のプロセスなくしては、ことばや、文化は紡ぎ出されず、参加の「共有」をも生み出すことはできない。すなわち、職場での対等性や、職員同士のしんどさの共有性があってはじめて、市民的共感も存在する。

以上みたように、障害当事者の働く場から生み出された重度障害者の主体性・個として生きる力の発揮の尊重と、一方での健常者を含めての共に働く共同性という労働文化は、障害者事業所制度の中で、より具体的な広がりをもって展開することとなった。それは、現場での労働文化を縦糸としつつ、行政による働く権利の尊重と地域への共同性創出の支援を横糸とする中で、すべての市民が主体として登場する参加型地域社会を、「労働文化圏」として提起するものであった。それは、いわば、地域社会による地域社会自身へのエンパワーメントと位置づけることができよう。

4、まとめ 障害者事業所制度の可能性

障害者事業所制度の整備と並行して、箕面市において、障害者事業所は拡大していった。1991年には、すでに、パンの製造、販売を行う事業所「パンハウス、ワークランド」、1997年には、菓子、クッキー製造の「つながり工房 ふるる」、1999年には、花苗、鉢花の販売「ぐりーん&ぐりーん」が立ち上がる。ここで共通の数字が得られる2006年をみると、4つの障害者事業所で64名の障害者雇用を行い、その売上総額は、1億5,587万円、市からの助成総額は、9,719万円であった。その中で、豊能障害者労働センターは、2006年当時、障害者31名、健常者25名の就労であり、障害者の平均給料は、月11万5千円であった。お店も地域に7店舗展開し障害者が経営を担い、地域へ開かれた場としての働く場を生み出してきた。
また、箕面市財政の逼迫のなかで、障害者事業所制度の今後について、2008年から行政との協議の場が持たれている。この中で、障害者助成金の助成が、従来の定額助成から、定率助成(実際に支払った金額の4分の3)へと変更される見通しである。そして、あらためて事業収益の拡大に向け、障害者事業所と行政と市民との協働を拡大すべく様々な取り組みが模索されている。 最後に、重度障害者の働く場を生み出す障害者事業所制度とその労働文化圏の提起は、誰もが働きやすい労働編成のあり方への提起と言えるであろうか。障害者事業所制度の要綱が、その対象を「一般就労の困難な者」としているように、確かに、障害者助成金という賃金補填制度の背景には、完全雇用が達成された時期でも雇用に結びつかない重度障害者という認識の構図が存在する。しかし、賃金補填を能力主義的評価には還元されない、地域の共同性を生み出す労働の豊かさの側面への対価の支払いであり、その拡大への投資であると読み替えるならば、様々な形の支援により、働きにくさを抱えた当事者と行政と市民との協働による対話的労働編成を生み出していくという労働文化圏の普遍的アプローチが具体的課題として日程にのぼるのである。

(注1)「障害者雇用促進制度調査研究最終報告」箕面市心身障害者連絡協議会・障害者雇用促進制度調査研究部会、1993年11月
(注2)「箕面市における障害者事業所が行う社会的雇用の今後のあり方について〜最終報告〜」P15、財団法人箕面市障害者事業団、2007年3月

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